2012年 お盆 「父の日記」

2012年 お盆 「父の日記」

今年のお盆は1週間のお休みを頂いて、主に喪主として昨年他界した
父の初盆と一周忌を執り行う為に、実家に戻りました。

父の希望により、血縁などの近親者をのぞいて、父の他界に関して
国内でのご案内を行なっておりませんでしたが、1年がたち、母の新生活も
落ち着いてきたことで、自分への節目を込めて、私事になりますが、
エントリーしようと思います。ご容赦頂きたく思います。

昨年の8月18日の事は今でも鮮明に覚えています。

元々、上場以来初めて1週間の休みをとって、実家で、
中長期戦略を作ることになっていました。
その1週間の休みの間に父は、危篤になり、他界しました。

その期間、父への付き添いを行いながら、病室で懸命に次期戦略を
作っていた事を記憶しています。
父は最後の1週間、親孝行するチャンスを与えてくれました。

午前1:30に息を引き取り、様々な手続きを行い、実家に父を連れて帰り、
お坊さんにお経をあげて頂き、11時頃には東京からスタッフが到着し、
近所のカフェで、今度は頭を切り替え、病室で作成していた、aigo cloud を
中心とした中国戦略のFeedbackをスタッフに対して行い、
出張に向けた資料作成に取り掛かってもらい、僕は今度はお通夜、
告別式の打ち合わせを行い、、、 という一日でした。

告別式の翌日は、一人で福岡中の役所等をまわって、父の
他界に関しての事務作業を終わらせ、その翌日には、
スタッフが完成させてくれた資料を携えて直接福岡から北京入りして、
Feng総裁などaigoトップの皆さんにaigo cloud戦略を披露し
合意となりました。この合意が今後の大きな一歩となりました。

昨年は、震災もあり、構造改革プロジェクトのSiLK Renaissanceの
まっただ中でもあり、クラウドビジネスも、MVNOもまだまだ立ち上げ途上の
赤字の状態、そしてDTIも構造改革の途中にありました。中国事業も、
iDCライセンス/IPv6の商用許可の遅れから「ジリジリ」した状態でした。

それに加え、父の他界という個人的にはとても大きな試練が重なりました。

この中で自分自身で一つだけ決めたのは、「絶対に逃げない」という
ことだけでした。真正面から一つ一つに取り組んで行ったこと、スタッフの
皆さんが懸命に努力してくれたことによって、今年は、昨年とは大きく異る、
「景色」に変貌させることが出来ました。

「神は乗り越えられる試練しか与えない」

JINのセリフですが、本当にそれを実感した1年でした。
この一年を支えて下さった皆様に深く感謝致します。

この経験を糧に、理念に向かってしっかりと邁進して参ります。

父の件は、父がこよなく愛した中国という国のビジネス誌
『中国企業家』での連載においてのみ、昨年報告しました。

以下、同誌(2011年9月)に寄稿したコラムの日本語訳を
掲載いたします。

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父の日記

私事になるが、先月18日 父が他界した。享年72歳だった。

僕は、数年ぶりで、1週間の夏休みを実家で過ごす計画を立てていた。
父は、その僕の休暇の初日に危篤になり、そして1週間懸命に頑張って、
最終日に息を引き取った。

仕事柄、親の死に目に会えないことだけでなく、葬儀にも出れない
覚悟をしていたが、父は、僕のビジネスにも全く影響を与えずに、
思いっきり親孝行するチャンスを与えてくれ、夏休みの終と共に
颯爽と旅立った。

そして、父は僕にとても大きな「遺産」を遺してくれていた。

それは、僕が10歳の時(父43歳の時)から危篤の2日前までの
約30年間 記し続けていた日記だ。

そこには、高度経済成長を突き進む日本の姿、そして、その中で
賢明に努力する地方出身の一人のビジネスマンとしての父の姿、
生活的に安定した後には、趣味のゴルフやソフトボールを
楽しむ個人としての姿、そして家族を愛し心配する父としての
姿が刻まれていた。

一人っ子で気が弱かった僕への心配、進学の喜び、そして僕が起業に
至る際の不安と期待、僕を支え続けてくれるスタッフの皆さんへの
深い感謝、そして、自らがこよなく愛し憧れ続けてきた国、
中国の女性と僕が出会い、結婚に至った時の歓喜。

そしてなにより心に響いたのが、父の生涯の誇りが、小さいながらも
自分の家を建てることができたことと、僕を大学卒業させることができた
という二つであったことだった。

父が他界した翌日、僕の恩師の大阪大学教授の川崎和男先生が
自らのブログに、父の死について触れたブログを掲載してくださった。

「君の父上は、君を育てられた一生でした。
その役割が定めだったのでしょう。とすれば、
君は君の世界でリーダーであり続けなければなりません。
だから、私は君をうらやましく思います。」

親は自らの人生と最後には、死を持って多くのことを教えてくれるのだと
いう事を、父を亡くして初めて学んだ。

中国企業家の読者の皆さんも、自分自身の為だけでなく、
家族や友人に向けたメッセージも書き添えて手書きの
日記を記されてみてはいかがだろうか?

次代へ何かが伝わっていくはずである。

僕は今、毎日同年代の父と「対話」することができている。


父と僕 佐賀県伊万里の当時の自宅前で

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