35歳誕生日!

35歳誕生日!

金曜日の夜は、出井さんを囲む会の方々が上場のお祝いをしてくださる。
経営者としても人生としても最高の先輩方なので、本当に感謝&恐縮。

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土曜日は、日帰り(2時間滞在)で福岡へとんぼ返り。
いやいや、思い切って行ってよかった。その後、お仕事。

日曜日は、午前中ぐっすりと休んで午後から、いろいろとお仕事。
今週も忙しくなるので準備を行う。後は、戻ってきたVAIOのセットアップ。
このVAIO君、すでに3回目の修理。う~ん。

6月18日午前0時を迎える。35歳の誕生日。

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最後の一杯をグラスに注ぐ!

昨年、田中さんからいただいた、コニャックの最後の一杯を飲んで一人で祝う!
沢山メッセージを頂き大感謝!

毎年誕生日を迎えるにあたって、一年の自分のキーワードを設定し、一年間
愚直にそのことを頭に入れて行動をし、翌年の誕生日を迎えるにあたって、
反省を行い、メモに記録し、そして次のキーワードを設定している。

今思えば、この習慣のおかげで、変化の激しいこの業界で、一歩一歩道を
進めてきているのではないかと感じられる。

1997年、25歳からはじめた習慣である。

今年のキーワードは

「基礎固めと積み重ね」

と設定した。

・中期ビジョンは「SiLK VISON 2010」で設定完了
・上場、その後の「怒涛の攻め」群はSiLK VISION 2010に向かっての「基礎固め」と設定
・その為には、今年は地に足をつけて「細部にこだわって積み重ねていく」事が大切
・絶対に砂上の楼閣は作らない。その為の完全な基礎固めを行う

という決意を持っている。

先日のAIIで、江崎玲於奈氏は「科学というのは、世代を超えた積み重ね」という
意味のことを言われていた。ネットワーク技術も同じだと思う。技術と実運用の
積み重ね。この点を肝に銘じて今年の一年を過ごしたい。

—–

参考までに、25歳からのキーワードを掲載しておきます。

25歳「守り」(1997年)

前職の三菱電機グループのISP(現在は東京電力グループ)のDTIを設立に参加するも、
NTTの着信回線不足問題等に毎日悩まされ,入会者も伸びずにまだまだISP市場での
足場も築けていない時期だった。当然計画値との差も出てきて焦るが、無謀な値下げや
キャンペーンによるユーザー獲得を狙わずに、「満足度」というアイデンティティに
よって息の長いユーザー獲得を狙う目標の為にひたすらクオリティアップにつとめる
「準備」の年であると位置付けた。

専用のネットニュースと、NIFTYのインターネットフォーラムで自らサポートを
行う。サポートセンターに来た苦情メールすべてに目を通す習慣を身につける。

# 将来のユーザーデスクトップ環境を目指して「Dream DeskTop」を開発。
# DTI初めてのオリジナルプロダクト。現在のAjax(java script)を利用して
# センターアーキテクチャーを使った、WebOS系システムの先駆けとなっていると思う。

26歳「攻め」(1998年)

25歳の時の準備を一気に「刈り取る」年。満足度No1をはじめて獲得。広告も。
媒体を絞り込んで複数のページと記事広告による独自のスタイルを確立した。
口コミも広がりユーザー数も急増。「Dream DeskTop」の利用者も増加し、
ユーザーコミュニティも形成される。

27歳「熟成」(1999年)

その時点での「熟成」が必要であると思われた年。今までの企画立案担当としての
プレイヤーの役割から「最高戦略責任者」(CSO)としての管理者としての立場も
考慮して様々な面の熟成が必要になった。今のリアリティ化の原点となる、

戦略-戦術-アクションアイテム

という落とし込みを行うようになった年でもある。

自分が「戦略」と思っていたものが、実は「戦術」もしくは「アクションアイテム」で
しかなかったことに気づき、戦略を立案するためには、正しい知識と学問をベースに、
発想する事が必要だということを学ぶ。それまでの経験を一気に熟成させて自分自身の
次のフェーズへ入った年でもあった。大きな転機となる。

28歳「覚悟」(2000年)

FreeBit.Comを設立しCEOとなる。マーケットの期待、スタッフを食べさせていく責任、
インターネットをさらに広げよう、そして何よりそれらの「大変なこと」を「ワクワク
しながらやろう」という意気込み、、、様々な点から「覚悟」と一言で表現した。

資金調達オフィス探し、ビジネスモデルの設定、技術開発、、、などなど、
本当に大車輪の一年だった。

当然、自分自身にとって大きな「フェーズアップ」となった。DTIを離れる時に
木村太郎さんから

「個人木村太郎としても,ジャーナリスト木村太郎としても,君は自分のブランドで
やるべきだと思う」

自分のブランド、自分のリスクで物事を行うということは、「言い訳のきかない環境」
で結果を出し続けていくこと。これが如何に大変なことであるかということを痛感
した。そのおかげもあって、本当に成長することができたと思っている。

29歳「28歳のバージョンアップ」(2001年)

28歳の成長をそのまま継続したいという意図を持って進んだ年。

30歳「三十にして立つ」(2002年)

組織化、継続化という事を最も意識した年。

成長と継続的成長はまったく違うものである事に初めて気づく。
成長は、努力と運があればある程度はいく場合があるが、継続的成長の為には
仕組み(フレームワーク)が必要。フレームワークのひとつが組織。

ただ、今思えば「組織こそフレームワーク」と小さな視野で見ていた時期でもあった。
成長の痛みの始まり。ただ、この痛みを克服して、本当にフレームワークの上に
「立った」価値観をもてるようになった。

「フレームワークを決めた上での、徹底的なフレキシビリティ」

今のフリービットのオペレーションの原型が生まれるきっかけになった年である。

31歳「デザイン」(2003年)

「ネットワーク化された社会をしっかりとデザインする一年としたい」

という決意をblogで書いている。この年に、フリービットが進む大きな
アーキテクチャーを設定した。

BroadBand化、Ubiquitous化、Semantic化

現在も事業説明会などでは必ず説明するこのフレームワークだ。

フリービットのビルディングブロック(現、コアコンポーネントAPI)をすべて
このフレームワークにあわせてブラッシュアップした。

ネットワーク化された社会をしっかりとデザイン(イメージ)することによって、
フリービットの立ち位置もはっきりと見えてきた。

その中で、開発を断行したのがOverLay Internetテクノロジー「EmotionLink」である。

当時の企画部門などに内容を理解してもらうために、沢山お酒を飲みにいった
事を懐かしく記憶している。(技術陣はさすがに瞬時に理解をしてくれた)

「美しいモノしか信じない」、川崎和男先生と出会ったのもこの年齢でだった。

32歳「実装」(2004年)

今の成長を支えている二つのコアコンポーネントAPIである、EmotionLinkと
帯域最適配分システムBitAgentの二つを、先を見据え当面の赤字覚悟で同時開発
を決断し、必死で開発と事業構造の転換を行ったのがこの年だった。

スタッフもある意味、「本当にこの先はあるのか?」と疑問に思った瞬間も
あったと思う。

赤字が続くことに関して全社集会の場で事情を説明しはじめて頭を下げ、
「信じてついてきてほしい」と訴えた日のことは忘れない。
全社一丸になって、Turn Aroundプロジェクトを10月から推進し、努力の結果
翌年2月には単月黒字に戻し、成長基調に転換することができた。

現在の、Dual課金モデル、コアコンポーネントモデルなどに会社が生まれ変わった
年だった。

イノベーション、ビジネスモデル、今までの蓄積、それらすべてを
経営としての数字として「実装」できた年だったと思っている。

33歳「聞く」(2005年)

「実装」とTurn Aroundプロジェクトが終わり、次の「攻め」への
シフトを開始した年となった。

数値的には「攻め」に入っているのだが、スタッフの「実感」はまだ
完全には伴っていなかった。そこで重要なのが「聞く」という事だった。

「市場の声、スタッフの声、先輩の声、取締役陣の声、それぞれに
耳を傾けて内容を完璧に理解した上で、決断を早期に下す。
せっかちな性格なのでそれまでは「聞く」事が苦手だったと思う。
この目標を掲げた事で、本当に自分自身成長できたと思っている。」

とblogに記述した通りだった。

いよいよ上場に向けて舵きりを始める。

34歳「勇気」(2006年)

すべての事柄に対して、ほんの少しづつでも「勇気」を加えて
みようと全社にも宣言をした。

技術は技術で「勇気を持った実装、計画」
営業は営業で「勇気を持ったセールス、顧客接点作り」

などなど。ほんの少し勇気を追加するだけで、全体からすると
とても大きな力になる。

設立7年目にして、最高に元気な状態で上場を迎えることができた年。
そしてさらに大きな勇気が必要となった年。